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【週刊・読書北海道メール版】 復刊第24号(通巻155号) 1999/6/1発行
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=====【今週の目次】=========================================================
〔Colum:本と批評〕
1)月刊漫画時評4(阿部 幸弘) エロマンガの現在?(その2)
〔News:本の情報〕
2)新聞書評インデックス−99年5月30日掲載分
3)今週のベストセラー−旭川市編
〔Colum:北海道の本と文化〕
4)ヤイユーカラの森 読書通信5(計良 光範)
萱野茂ほか編『二風谷ダム裁判の記録』(自費出版)
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〔Colum:本と批評〕
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●月刊漫画時評4(阿部 幸弘) エロマンガの現在?(その2)
タイモン・スクリーチ著、高山弘訳『春画』(講談社選書メチエ、1700円)ほか
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◆逆説的に映し出された性的幻想◆
「エロマンガの現在?」の2回目である。
おことわりするのを忘れていたが、タイトルに”?”が付いているのは、とても領
域の全体像を見渡せないのを承知の上で、あえて個人的視点からエロマンガの現在を
見ているからだ。
さて、前回の原稿を書いた数日後、非常に示唆的な本に出会った。タイモン・スク
リーチ著、高山弘訳の『春画』(講談社選書メチエ、1700円)だ。副題に「片手で読
む江戸の絵」とある。もう一方の片手がどこに行って何をしているかは、皆まで言う
必要はなかろう。そう。江戸の春画は、本稿で扱っているエロマンガとほとんど同じ
機能を持っていたのだ。考えてみれば、それは非常に当たり前のことであった。しか
し本書によると、春画研究においては、歴史性や芸術性などに言及されることはあっ
ても、当時の実際的な絵の<使い方>はあまり重要視されてこなかったらしい。本書
はそんな中、春画の絵に当時の人々がどんな性的幻想を込め、どう使われたのかを考
察するスリリングな研究書だ。
著者は文中で多くの春画を分析して、「春画の幻想世界はお互い等しく楽しんでい
る信頼と非暴力の世界だ」と述べる。そして、こう言う――「春画の時代はセックス
黄金時代というわけではなかった」「江戸の性が金で売買されるものであり、愛し合
う二人が心の底からしたいと思うことの結果ではないことが、まったく逆の絵を描か
せ、描かれた二人の対等を謳わしめたのではないだろうか」と結論づける。ふーん…
なるほど…。
ポルノグラフィーには、性の実像とは、ある意味「まったく逆の絵」が描かれる、
即ち、実際の生活の中の欠乏が逆説的に映し出されるというこの認識は、非常に示唆
的だ。多分、時代や民族に関係ない普遍的な現象だろう。今回は、この認識を基にし
て、エロマンガの現在に戻って考察してみたい。
◆アニメ絵系作品の席巻◆
さて、エロマンガの多様化については前回述べた。多くのサブジャンルの中から考
察のとっかかりとして、まず男性読者が読んでいるものを取り上げよう。男の読むポ
ルノグラフィーの中では、アニメ絵系の作品、いわゆる美少女系エロマンガが台頭(
というより席巻)している。なぜか? 理由は単純だ。要は、アニメ絵の方がカワイ
イからである。
かつての劇画系エロマンガのスタイルは、性的イメージの写真的なリアルさを追及
した。肉、体臭、息使い、肌の熱さ、体液のぬめり等々、いかにリアルに細部まで興
奮を喚起するかが重要であった(男性用エロマンガでもこのスタイルの需要は、まだ
皆無ではない)。しかしそこに、リアルな人間像まで描き込まれるとどうだろうか?
石井隆の「名美」のような存在感のある女の姿は、はたしてポルノには有効なのか邪
魔なのか? この問いは、「ポルノにロマンは必要か?」と言い換えられるかもしれ
ない。もちろんここでは、あくまでポルノグラフィーとしての機能評価に絞って考え
ている。最終的には好みが別れ、陳腐な解答しかないのかもしれない――すなわち、
<程度と内容による>ということ。
例えば、いきなり性器のアップを見せられただけでは、大抵の人は医学書を見るよ
うな気分になるだけだろうし(それがいいという人もいるかも知れないが…)。しか
し反対に、あまりに長々と無意味な前振りや壮大な人間ドラマが続くのも、ポルノな
気分がそこなわれたりもするだろう(それがいいという人もいるかも知れないが…)。
いずれにしても、より下の世代は、(「名美」のような)存在感のある女性のイメ
ージよりも、画面からポップアップしてくるような、グラフィック的可愛らしさを追
及した、アニメ絵系の美少女を選んだ。(ここで、今の男は、二次元コンプレックス
=現実の三次元の女を口説けない情けないオタクだ云々、世相の方から説明を付けた
がる人もいるだろう。が、筆者はそれはちょっと安易と思う。だから、ここではその
分析はやらない。やりたい人はご自分でどうぞ)。それだけ、キャラクターの見た目
の可愛らしさが、最優先事項として重視されているということになる。
◆大量消費用画像としての必然◆
ところで、アニメ絵的な可愛らしさについて、これを不快と思ったり、頭から良く
ないものと決め付けている人が、ある世代から上には多いと思われるので、少し解説
しておこう。決してアニメ絵を好きになれとは言わない。だが、ただただ嫌悪するだ
けというのは、あまりに不毛な態度と思うからだ。
結論から言うと、アニメ絵系の人物造形(とくに顔の造作)は、可愛らしさを徹底
して追及した結果なのである。(たとえ、嫌いな人には、いかに不気味に見えようと
も)。こういう話をすると、なぜか、デッサン的な間違いなどを指摘しようとする人
がいる。曰く、目の大きさや位置などが極端にデフォルメされていて、おかしい、間
違った絵だという主張だ。ちょっと待って欲しい。もしも本気でこのことを議論とし
て言う人がいるなら、悪いがそれは愚の骨頂というものだ。誰もあんな顔の少女が現
実に居るなどと思っていない。ただ、マンガは写真ではない、ということだ。実はア
ニメ絵のスタイルは、我々の心理的な視覚の動きを、絵として固定させたものなのだ。
例えば、心底カワイイと思える、本当にあなた好みの美少女に、街角でばったり出
会ったとしよう。その時、一目惚れ状態のあなたの目は、少女の美しい瞳に<心理的
ズームイン>をするはずだ。この心理的な視覚のダイナミズムを、絵として提供した
ものがアニメ絵のスタイルと言える。従って、少女の瞳は極端に大きく描かれるのは
もちろん、左右の目は構図によって、必ずしも顔の立体的左右対象の位置に描かれる
とは限らない。けれども、この、<ズームする時間を一つの絵に畳み込んだ画像>に
よって、少女の可愛さ、元気溌剌さ、うぶさ、等々が生き生きと表現されうる。そし
て、読む側が、「カワイイー〜〜〜!」と思って感情移入できればできるほど、より
画像の可愛らしさが動き出す(そして更に可愛く見えてくる、ここに至れば良循環に
はまる)という仕組みだ。いわば視線の欲望が、すでに折り込み済みのスタイルなの
である。
視覚中枢を含めた、脳が愛でる可愛らしさ。もしも、多くの読者にこのことを可能
にする非常にカワイイ絵柄が描ければ、その作家ははっきり言って売れる。同人誌界
で大部数がさばけるだろうし、もちろんメジャーでもヒットする可能性大だ。そして、
ヒットすればエピゴーネンが次々に現れ、急速にスタイルの鮮度は落ちる。しかしそ
れでも尚、めげることなく次の可愛らしさが少しずつ誰かに開発されていく。このよ
うにして、様式の固定化と、不断の差異の追及(反固定化)が繰り返されるさまは、
言語やファッションと全く同じだ。アニメ絵には常に、様式美的なこだわりがつきま
とっているのは、このような大量消費用の画像として必然的なものと言えるだろう。
◆都合のよい肉体のコラージュ◆
少し回り道をしたが、美少女系エロマンガに話を戻そう。心理的ズームと書いたが、
これを別な言い方にすれば、読者が心理的に作品に参加する行為=参加性とも言える
だろう。そもそもマンガ自体が参加する絵(読者の”読む”という行為によって、時
間や動きが生成する絵)なのだが、その中でもエロマンガは、特に参加性の強い分野
と言えるのではないか。ポルノグラフィーの善し悪しは、芸術性でも文学性でもない。
言うまでもなく、欲望を呼び起こす<ネタになるか否か>である。(この場合、片手
が手すさびをするかしないか、あるいは単に覗き感覚で読むかどうかなど、読み手の
目的は微妙に違っても、それぞれに<ネタ>になればよい)。ごく当然のこととして、
描かれている女性の可愛らしさは不可欠な要素となる。
しかし一方、エロマンガにあっては、可愛いさだけでは不十分だ。その少女が、と
んでもなく性的に刺激的なことを演じ、それを絵として説得力あるものに仕上げる必
要がある。実は美少女系エロマンガにおいても、性的興奮を喚起させる仕掛けは、劇
画系のそれと同様に、いやそれ以上に重要である。性行為の音、体液の湿潤さ、肌の
すべらかさ、乳房の弾力――それぞれの作家のこだわりによって強調点は違うが、実
に多くの表現技法上の工夫が今も展開されている。キャラクターの一見した印象は異
なるものの、その目で見れば、70年代エロマンガから連綿と開発されてきたエロティ
ックな表現技法は、実は美少女系エロマンガにおいても存分に継承・発展されている
のだ。そしてその結果、とても可愛いロリロリ系の少女の顔と、いやらしく演出され
た性器の結合とが、同時に同一画面の中で描かれることになる。すなわち、様式化さ
れた表現のベクトルと、肉の熱さや生々しさを示すための写実的なベクトルとが、混
在するという現象が起きる。無垢な表情と、豊満な胸、淫乱な性器というわけだ。な
らばここで起こっていることは、”都合のよい肉体のコラージュ”ではないだろうか。
ここまで書いたところで筆者は、アイコラの流行を思い出した。エロ写真の首の部
分を、アイドルの写真にすげかえる、アイドルのコラージュ写真=アイコラだ。いか
に本物らしく見せるか、その技術を血道をあげて競い合うという現象が起きている。
ポルノを中心として、両者で起こっていることは、実は本質的に全く同じなのが分か
る。
では、目を転じて、女性読者向けのエロマンガはどうなっているか見ようと思うが、
申し訳ない、またまた字数が尽きてしまった。実はこちらの方に、かつての劇画系エ
ロマンガと技法的な共通点を多く感じさせる、写実を強調した多くの作品群が広がっ
ている。(もちろん、様々なスタイルがあるので、すべてではないが)、むしろレデ
ィースコミックの方でこそ、ハードなセックスの写実的な描写を徹底的に追及した作
品が、勢力を拡大しているのだ。この比較で見る限り、女達の方が、虚構のイマジネ
ーションに安住することなく、実際の性体験を欲望しながらエロマンガを読んでいる。
(その解釈も略す。誰でもできるでしょ)。
次回、その欲望をマンガの画像から読み取ってみたい。作品の紹介も次回に回す。
☆筆者の阿部幸弘(あべ ゆきひろ)氏はマンガ評論家、精神科医。『ガロ』『ユリ
イカ』『週刊読書人』『北海道新聞』など多くの雑誌、新聞に評論を執筆している。
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〔News:本の情報〕
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▼新聞書評インデックス(5月30日掲載分)
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○北海道新聞○
山田智彦著『木曽義仲』上下(NHK出版)−評者・縄田一男
倉阪鬼一郎著『活字狂想曲』(時事通信社)−評者・下森真澄
村松友視著『情事』(実業之日本社)−評者・見延典子
ロバート・クーヴァー著『ジェラルドのパーティ』(講談社)−評者・陣野俊史
森口秀志編『教師』(晶文社)−評者・藤井東
○朝日新聞○
篠山紀信著『萬野美術』(新潮社)−評者・赤瀬川原平
薄井ゆうじ著『社長物語』(講談社)−評者・太田弘子
貴田庄著『小津安二郎のまなざし』(晶文社)−評者・河谷史夫
桐野夏生著『柔らかな頬』(講談社)−評者・斎藤美奈子
保坂和志著『<私>という演算』(新書館)−評者・清水良典
エリア・カザン著『エリア・カザン自伝』上下(朝日新聞社)−評者・扇田昭彦
○日本経済新聞○
シンシア・エンロー著『戦争の翌朝』(緑風出版)−評者・鹿島敬
デイヴィッド・クォメン著『野生の心、野生への旅』(河出書房新社)−評者・渡辺
政隆
曽根英二著『ゴミが降る島』(日本経済新聞社)−評者・酒井伸一
サイモン・ウィンチェスター著『博士と狂人』(早川書房)−評者・高田宏
中沢けい著『豆畑の昼』(講談社)−評者・清水良典
○毎日新聞○
バアネット著『小公子』(岩波文庫)−評者・清水徹
三木卓著『裸足と貝殻』(集英社)−評者・三浦雅士
石原保徳著『世界史への道』前後編(丸善ライブラリー)−評者・根井雅弘
植草一秀著『日本の総決算』(講談社)−評者・森谷正規
アミール・D・アクゼル著『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』(早川書房)−評
者・中村桂子
陣内秀信著『南イタリアへ!』(講談社現代新書)−評者・藤森照信
○読売新聞○
堀田力著『壁を破って進め』上下(講談社)−評者・馬場錬成
イタロ・カルヴィーノ著『カルヴィーノの文学講義』(朝日新聞社)/マルコ・ベル
ポリーティ著『カルヴィーノの眼』(青土社)−評者・港千尋
三木卓著『裸足と貝殻』(集英社)−評者・川村二郎
ピーター・L・バーガー著『癒しとしての笑い』(新曜社)−評者・野矢茂樹
神野直彦編『自治体倒産』(日本評論社)−評者・広岡守穂
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▼今週のベストセラー ◇旭川冨貴堂本店(5月23日〜29日)調べ◇
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1 桐山靖雄著『一九九九年七の月(ノストラダムス)よ、さらば!』(平河出版)
1,524円
2 乙武洋匡著『五体不満足』(講談社)1,600円
3 大川隆法著『繁栄の法』(幸福の科学出版)1,600円
4 大野晋著『日本語練習帳』(岩波書店)660円
5 天童荒太著『永遠の仔』上・下(幻冬舎)上1,800円・下1,900円
6 村上春樹著『スプートニクの恋人』(講談社)1,600円
7 三好武士著『丘の呼び声』(自費出版)1,238円
8 朝日新聞社編『草木花歳時記(冬の巻)』(朝日新聞社)3,800円
9 浅田次郎著『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社)1,500円
10「少年A」の父母著『「少年A」この子を生んで…』(文藝春秋)1,333円
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〔Colum:北海道の本と文化〕
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★ヤイユーカラの森 読書通信5(計良 光範)意外な予想しなかった「おもしろさ」
萱野茂・田中宏ほか編『二風谷ダム裁判の記録』(自費出版、9500円)
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■苫東計画の破綻とダム建設■
A5版580ページ(追補版を含めて) に及ぶ本書は、開くまでに相当の決意を要する
厚みと重みで、まず私を圧倒した。しかし、腹を決めて読み初めてしばらくすると、
意外にも予想しなかった「おもしろさ」に捉えられた。これは1988年2月の北海道収
用委員会審理に始まり、89年3月にスタートしたいわゆる「二風谷ダム裁判」が97年
3月の札幌地裁判決に終わるまでの記録である。
日本が経済成長を続けていた1969年、列島改造計画の最先端を行く形で苫小牧東部
大規模工業基地(苫東)の開発が決った。11,250ヘクタール(東京の山手線内と同面
積)の敷地内に、世界中の資源の3分の1を集めるという途方もない巨大な構想だっ
た。そこで使用される工業用水(特に製鉄用)の供給先として、沙流川が選ばれたの
だ。四つのダム(後に二つに変更)を造り、1日25万トンの工業用水を供給しようと
いうのである。その一つが二風谷ダムで、高さ31・5メートル、幅580メートル、湛水
面積4・3平方キロメートル、総貯水容量3150万立方メートルという規模だった。
1971年、苫東基本計画が策定され、北海道開発局は「沙流川総合開発事業計画」の
予備調査を開始、並行して苫小牧東部開発株式会社が設立され、苫東基地用地の買収
が進んだ。ところが1972年のオイルショックによって、苫東基地の計画は、事実上破
綻した。世界でも有数の工業生産基地誕生の可能性は、ほとんどゼロになったのであ
る。にも関わらず、二風谷ダムの建設計画が変えられることはなかった。変わったの
はダムの建設目的だけであり、それは(1)洪水調節(2)流水の正常な機能維持(3)灌
漑(4)水道(5)工業用水(6)発電とされ、その後の裁判で明らかにされるように、ま
ったく意味も必要も認められない内容だったのである。
それ以後の、二風谷ダムをめぐる主な流れは以下の通りである。
1973年 実施計画調査
81年 沙流川開発事業予算化
82年 地権者に対する補償説明会(水没予定地の地権者183名。内60名がアイヌ)
83年 建設省、ダム建設計画告示。道は平取町に地域振興費21億円の交付を決定。
86年 ダム本体工事着工。建設大臣事業認定。
88年 北海道収用委員会第1回審理。(貝沢正・萱野茂意見陳述/2月)
貝沢正・萱野茂両名を除く全地権者と補償条件で合意/8月
89年 収用委員会、権利取得裁決・明渡裁決/2月
貝沢正・萱野茂、行政不服審査法による審査請求・執行停止の申立/3月
91年 行政不服審査第1回審理で貝沢正・萱野茂が建設省で意見陳述/3月
建設省係官、現地検証/11月
92年 貝沢正死去/2月
<萱野茂、社会党より参議院比例代表区で立候補/次点>
93年 <国連の世界先住民年>
建設大臣、審査請求・執行停止申立を棄却/4月
貝沢耕一・萱野茂、収用裁決・明渡裁決の取消を求める行政訴訟提起/5月
第1回口頭弁論(アイヌ語による意見陳述認められず)/7月
94年 <萱野茂、繰り上げ当選により参議院議員に就任>
<国連の世界先住民の10年スタート>
96年 ダム本体工事完成・試験湛水開始/4月
第25回口頭弁論・弁論終結(萱野茂、アイヌ語で意見陳述)/12月
97年 判決言渡/3月27日
<アイヌ文化振興法制定/5月1日>
■学習と議論を重ねた闘い■
話題性に富み一般の関心を集めながら、その内容が分かりにくかったこの裁判だが、
こうして時系列に沿って振り返ってみると理解しやすくなる。
まず89年2月、収用委員会裁決が出されるまでの時期。後に原告となる貝沢・萱野
両氏は「これは条件闘争です」と言い、基本的にはダム建設に反対してはいなかった。
貝沢氏の要求は「農業廃休止補償を、アイヌが苦しんできた歴史に見合う期間にして
ほしい。アイヌに狩猟権・漁業権を返すこと。コタン周辺の社有林をアイヌに返すこ
と」であり、萱野氏は「鮭の捕獲権をアイヌに返すこと。平取町に交付される地域振
興費など巨額な資金が、前・現地権者にも有効に使われること」などを要求した。そ
して「これ1回で話し合いに決着がつくとは思わないが…」と言って、陳述を終えて
いる。
収用委員会がこの両氏に誠実に対応し、その中の何点かについて実現へ向ける姿勢
だけでも明らかにしたならば、後の裁判はなかったろう。しかし、木で鼻をくくった
ような対応のあげくに、1年後、権利取得・明渡の裁決が出された。
次に、12名による弁護団が結成され、貝沢・萱野両氏が行政不服審査法による申立
をした89年3月以降の時期。本書で言われる「8年間の裁判闘争」は、この時に始ま
った。
萱野氏らの要請で急遽協力を申し出、結成された弁護団は、「絶望的とも感じられ
た」(本書「弁護団から」)状況の中で、学習と論議を重ねながら、苦しい闘いを始
めていった。しかし、スタートにあたって確認された「アイヌ民族として、ダムの収
用は認められない」「裁判を通じて、アイヌ問題・アイヌ文化の問題を世論に広げる」
という柱を、マスコミを通して社会に広げるという方針は正解で、時とともに支持者
が増え、支援する論調が強くなっていった。
93年4月、建設省が原告の請求・申立を棄却して、この時期が終わる。この間、貝
沢正氏が亡くなり、萱野茂氏は参議院選で次点となっている。
同年5月、貝沢正氏の子息・耕一氏と萱野氏が、収用裁決・明渡裁決の取消を求め
る行政訴訟を提起して、最終段階に入った。ここまでに弁護団の方針は大きく進展し、
憲法29条(財産権)、憲法13条(個人の尊厳)、国連B規約27条(少数民族の権利)
などを柱に、原告の「アイヌ民族としての存在・主張」を全面に押し出しての裁判闘
争となっていった。そのために、多くの学者やジャーナリストに証人として発言する
機会を作り、その結果二風谷ダムというものが歴史的なアイヌ収奪・圧政のシンボル
であるかのような印象を、市民に与えるようになっていった。
しかし、その間にも工事は着々と進み、96年4月、完成したダムへの湛水が開始さ
れたのだ。そして97年3月27日、判決が言い渡された。
■判決は「大岡裁き」だったのか■
判決は、主文で「原告らの請求をいずれも棄却する」としたうえで「ただし」と続
け、国がダム工事建設によって失われるアイヌ民族の文化享有権などの価値判断上必
要な調査をするべき義務を怠って、事業認定をしたのであるから、本認定処分・収用
裁決は違法であるとしている。「しかし」既にダムが完成し湛水しているので、収用
裁決を取り消すのは公共の福祉に適合しないので、事情判決とすると。
原告にとって、これが勝訴なのか敗訴なのかは、意見が分かれるところだろう。判
決文中に、アイヌ民族が先住民族であると明記されている点を「画期的、歴史的」と
評価する声は多い。
そのことに異は唱えないのだが、93年の国際先住民年と引き続いての先住民の10年、
94年の参議院議員・萱野茂誕生、そして判決の翌年制定されるアイヌ文化振興法。こ
れらが、この判決を生み出した「事情」であることは確かだろう。三権分立というた
てまえの、余りにも脆弱なわが国の体質については、衆知のことである。
人々が「歴史に残る」と言うこの判決が、「大岡裁き」のようにも思われる。とす
るならば、原告と被告の国(行政)・国(司法)がそれぞれ、損をした一両は何であ
り、原告・被告が得をした二両とは何だったのであろうか? これからの歴史的展開
に、そのことを見定めていかねばならない。
本書は、原告・弁護団・証人・市民団体などの報告・感想や感慨に70ページが割か
れている他は、裁判資料に 500余ページがあてられており、圧倒的に後者のほうがお
もしろく読み応えがある。
最後に、気になる一点。萱野茂氏は、裁判期間中何度かの陳述の中で、「北海道島
の領有権はアイヌのもの」と言い、アイヌ語での最終陳述では「アイヌ語で私がしゃ
べっても、皆様には分からないでしょう。それというのは、あなたたち(裁判官)は
日本という別の国から来た別の民族なので、アイヌ語を聞いても分からないのです」
と言っている。この立場は重要だと思う。
☆『二風谷ダム裁判の記録』はFAX01457-2-3991(貝沢耕一)への申し込みで購入
可能。料金は送料込み1万円。
☆筆者の計良光範(けいら・みつのり)氏は、アイヌ文化の再生を目的に自ら活動す
る「ヤイユーカラの森」を秋辺得平氏などとともに設立、現在、事務局長。著書には
『アイヌの世界』(明石書店)などがある。
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