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 【週刊・読書北海道メール版】 復刊第18号(通巻149号)  1999/4/13発行
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=====【今週の目次】=========================================================
〔Colum:本と批評〕
1)月刊漫画時評3(阿部 幸弘)  エロマンガの現在?(前編)
〔News:本の情報〕
2)新聞書評インデックス−99年4月11日掲載分
3)今週のベストセラー−札幌市中央区編
〔Colum:北海道の本と文化〕
4)走り読み<北海道>の<文学>4(平原 一良)  「北海道の出版事情」考のために
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〔Colum:本と批評〕
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●月刊漫画時評3(阿部 幸弘)  エロマンガの現在?(前編)

        畑中純・漫画/谷崎潤一郎・原作『鍵』(小池書店 657円)ほか
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 ■エロマンガとして機能しない理由■

 谷崎潤一郎の「鍵」を畑中純がマンガ化した(『鍵』小池書店、 657円)。北海道
新聞の週刊コラムにも書いたが、このマンガで畑中は性と生に対する人間らしい執着
を描いており、その意味で確かに秀作ではある。ただ、どうしても決定的に気になる
点がある。ストーリーマンガとして十分読ませる水準にあるにもかかわらず、エロマ
ンガとしての機能を全くと言っていいほど欠いているのだ。互いに奇妙に屈折した熟
年夫婦の貪欲な性という、非常に生々しい素材を扱っているにもかかわらず、正直、
私はこのマンガを読んでただの一度も勃たなかった。
 ここで「お前はエロマンガの読み過ぎで麻痺しているのだ」とか、「個人の性的嗜
好の違いだ。俺は畑中純の描く女性が性的な意味で大好きだ」と言われてしまえばそ
れまでである。だが一つには、実の所、筆者はマンガ評論家としては恥ずかしいくら
い、このジャンルはあまりたくさん読めていない。ジャンルと心中するくらいの覚悟
がなければ、とても目を通せないほどの膨大な作品が日々量産されているという事情
ももちろんある。二つ目の、性の個人的な嗜好の違いというテーマは、大事な点なの
で後で触れよう。さて、筆者がとりあえず前記のように感じたとして、先をお付き合
い願いたい。
 コミック版『鍵』が、(少なくとも私には)エロマンガとして機能しない理由は、
二つある。
 一つは畑中の描線だ。近年どんどん土着的で開放的になっていっている畑中の線は、
あまりにも健康極まりない。もちろん、性を大らかに描く野太さは、人間をまるごと
描くことにつながり、その意味での腕力は言うまでもなく十二分にある。だが逆に、
欲望という一点だけにピントをあてたい時には、むしろその豊かさ大らかさが邪魔を
する。
 二つめの理由は、性的な演出に関しての時代の水準の変化だ。『鍵』に出てくる熟
年夫婦は、お互いの秘密を覗き合うという演出を、わざわざ手間をかけてやっている。
つまり、お互いの性を半分は意図的に、嘘か真か定まらないスリリングな場所に引き
ずり込んでいるわけだ。そんな中、妻のフェラチオへの嫌悪と拒絶、あるいは夫のア
ナル・セックスへの欲望と背徳感が出てくる。妻の台詞は「やめてください/人間の
尊厳は/どうなりますか」という、いかにも大時代的なものである。

 ■性的表現のエスカレートと消費■

 ここで、ちょっと考えてみて欲しい。果たして、エロマンガの中でフェラチオやア
ナル・セックスが描かれ、登場人物が「人間の尊厳」のような重くて深い感覚を語っ
た時に、それを笑ったり面白がるのではなく、すんなり正面から共感するような読み
手が果たして今いるだろうか。(誰がどんなセックスを現実にしているかという話を
したいのではない。フィクションに対する受け止め方/距離の取り方についての、時
代の水準のことを話している。もちろん、フィクションが現実に影響を与え、その逆
もあるのが当然だから、谷崎の先駆的な小説等々のおかげで、日本にはフェラチオく
らいでは驚かない読者が増え、筆者もその一人に含まれているという説明も成り立つ。
ただ、本稿は日本人の性意識の分析が目的でないので、その辺りは専門家にお任せし
て言及しない。)
 フィクションと読み手との関係で言えば、現在のエロマンガの読み手の水準は“ど
うせフィクション”という感覚をキープしながら、あえてフィクションにのめり込む
というものだろう。もっと言えば、“どうせフィクション感覚”を維持せざるを得な
い状況の方が、その制約ゆえに、かえって作品に没入できるという逆説的な構造があ
る。そうでなければ、現在のエロマンガの、どこまでも過剰な表現の発展を説明でき
ない。一つの乳房に三つの乳頭があるとか、生物学的に不可能な巨乳とか、重力の法
則を無視した超上向きオッパイとか、両性具有どころか体中に性器がある人間などな
ど、考えつくことは何でもやっている感じだ。あるいは造形ばかりでなく、物語の設
定やマンガ的表現技法・文体なども、より限界的なもの極端なものへとエスカレート
している。ある意味では、この、“どうせフィクション”という感性こそが、マンガ
表現を先へ先へと開拓しているとも言える。(読書北海道の読者は大丈夫と思うが、
誤解する人が居ると困るので、ここであくまで念のための注を入れておく。筆者は前
記のようなマンガの性的表現のエスカレート的変化に、眉をひそめて遺憾の念を表明
しているのでは、全っ然っ、ない。「へえ、こんな表現も発明しちゃうんだ、面白い
な」くらいのものである。だってフィクションなのだから。)
 ただ、ことの自然な成り行きとして、ここで個人的嗜好による分化が生じてくるだ
ろう。いかに絵空事の楽しみとは言え、化け物のような巨乳の絵を見ると「これで勃
つのかな…」と感じる人と、「これこれっ!これが面白い」と反応する人に分かれる
はずだ。かくしてジャンルの更なる細分化と、ジャンル内の即時飽和現象が繰り返さ
れる。要するに、どんどん爆発的に分化していく。中には、勃つ勃たないなど問題に
せず、細分化したジャンルそのものへのめり込み、コレクターとして走り出す者もい
るはずだ。ここまで来れば、エロマンガに何を求めるか(普通はエロだが)再定義し
ないとわけが分からなくなるかも知れない。
 重要なのは、そういう現象が、おそらくエロマンガだけでなく、いろんな場所で起
こっているということだ。簡単に言ってしまえば、様々な表現を消費する我々に桁違
いの“グルメ化”が起こっているのだ。谷崎の「鍵」で描かれる性的嗜好も、フィク
ションとして、当時ならばグルメ的だったのかもしれないが、現在のエロマンガの水
準には遥かに追いつかない。

 ■エロマンガの爆発的な分化■

 さて、以上のような傾向は、マンガを評論する視線の上にも生じている。すでにマ
ンガを、芸術性や文学性という、何か他のヒエラルキーを物差しにして、いわば代わ
りのモノで測るという方法論は大分死んだ(一部、訳の分からぬバカ評論家はいるが、
いつの世もそんなもの)。当然、エロマンガについても、エロマンガ自体の中からの
価値や基準で見る作業も行われている。中でも『エロマンガ・マニアックス』(山田
裕二・増子真二、太田出版、1500円)は労作だ。70年代のエロマンガを独自の視点で
4つに分類し、レアな作品の再録、インタビュー、資料などで多角的に構成した1冊
になっている。これまでの視点では全く評価の対象にならなかった作家にも、多数ス
ポットが当たっている。
 個人的に最強のインパクトを味わったのは、やはり、あの安部慎一の描いたエロマ
ンガ「僕はサラ金の星です!」だった。安部の真のファンなら、入手して読んで欲し
い。そのあまりにもすさみ変わり果てた描線に、正直愕然とするかもしれない。しか
し、それでもなお、作品の随所にまるで石か何かのように無造作に転がっている、安
部の天才的なセンスに驚くと思う。かつてとは全く別な意味で、安部慎一を再発見で
きるはずだ。
 この本を読んでみると、現在のエロマンガの爆発的な分化は、すでに70年代にその
萌芽が準備されていたことが分かる。考えてみれば、エロマンガの定義を少し緩めて、
性的な妄想を大なり小なり扱うものと押さえてみると、美少女系コミックや、パロデ
ィ同人誌系、やおい系、レディースコミックなどなど、加えて旧来の狭い意味での劇
画系エロマンガもまだ流通しているし、あたかもすべての世代の多様な嗜好に合わせ
たジャンルがそれぞれ確立しているような状況だ。
 その中で、筆者なりに注目している作家を次回紹介したい。また、多様化の中でも
明らかに目立つ変化、いわゆるアニメ絵系のエロマンガの席巻状態について、考察を
加えてみる予定だ。(続く)

☆筆者の阿部幸弘(あべゆ きひろ)氏はマンガ評論家、精神科医。『ガロ』『ユリ
イカ』『週刊読書人』『北海道新聞』など多くの雑誌、新聞に評論を執筆している。

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〔News:本の情報〕
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▼新聞書評インデックス(4月11日掲載分)
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○北海道新聞○
坪内祐三著『靖国』(新潮社)−評者・山口昌男
オットー・L・ベットマン著『目で見る金ぴか時代の民衆生活』(草風館)−評者・
猿谷要
石弘光著『環境税とは何か』(岩波新書)−評者・植田和弘
ピート・フローンほか著『におい』(中央公論新社)−評者・東嶋和子
ロバート・メンデルソン著『医者が患者をだますとき』(草思社)−評者・永井明

○朝日新聞○
高樹のぶ子著『透光の樹』(文藝春秋)−評者・久世光彦
奥野健男著『文学のトポロジー』(河出書房新社)−評者・清水良典
外交政策決定要因研究会編『日本の外交政策決定要因』(PHP研究所)−評者・大
嶽秀夫
上村幸治著『中国路地裏物語』(岩波新書)−評者・井波律子
リチャード・カッツ著『腐りゆく日本というシステム』(東洋経済新報社)−評者・
太田弘子
アンドレ・コント=スポンヴィル著『ささやかながら、徳について』(紀伊國屋書店)
−評者・木田元

○日本経済新聞○
リチャード・カッツ著『腐りゆく日本というシステム』(東洋経済新報社)−評者・
藤井良広
小平桂一著『宇宙の果てまで』(文藝春秋)−評者・松井孝典
加藤典洋著『可能性としての戦後以降』(岩波書店)−評者・橋爪大三郎
間宮洋介著『丸山真男』(筑摩書房)−評者・佐々木毅
栗原葉子著『伴侶』(平凡社)−評者・吉武輝子

○毎日新聞○
エドワード・W・サイード著『文化と帝国主義』1(みすず書房)−評者・三浦雅士
井上ひさし著『東京セブンローズ』(文藝春秋)−評者・向井敏
ジャレド・ダイアモンド著『セックスはなぜ楽しいか』(草思社)−評者・大岡玲
アーサー・ウェイリー著『袁枚』(平凡社)−評者・張競
西堂行人著『ハイナー・ミュラーと世界演劇』(論創社)−評者・渡辺保
斎藤雅子著『絶えて櫻の』(高井有一新潮社)−評者・高井有一

○読売新聞○
田中圭一著『日本の江戸時代』(刀水書房)−評者・石井進
青木健編『田村隆一エッセンス』(河出書房新社)−評者・高橋源一郎
金子勝著『反経済学』(新書館)−評者・松原隆一郎
津島佑子著『「私」』(新潮社)−評者・日野啓三
川端裕人著『動物園にできること』(文藝春秋)−評者・田辺一雄
ブルーノ・ラトゥール著『科学が作られているとき』(産業図書)−評者・野矢茂樹

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▼今週のベストセラー     ◇札幌・リーブルなにわ(4月4日〜10日)調べ◇
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1 「少年A」の父母著『「少年A」この子を生んで…』(文藝春秋)1,333円
2 篠田真由美著『桜闇』(講談社)1,050円
3 乙武洋匡著『五体不満足』(講談社)1,600円
4 不破哲三・井上ひさし著『新日本共産党宣言』(光文社)1,200円
5 西村京太郎著『北への殺人ルート』(講談社)790円
6 渡辺淳一著『源氏に愛された女たち』(集英社)1,300円
7 けらえいこ著『7年目のセキララ結婚生活』(メディアファクトリー)880円
8 夢枕貘著『新・魔獣狩り6』(祥伝社)800円
9 小沢忠恭著『Perfume 優香写真集』(ワニブックス)2,400円
10西村京太郎著『西伊豆 美しき殺意』(読売新聞社)800円
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〔Colum:北海道の本と文化〕
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★走り読み<北海道>の<文学>4(平原 一良)「北海道の出版事情」考のために
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 ◇安原顯『決定版「編集者」の仕事』を読む◇

 スーパー・エディター、ヤスケンこと安原顯の著書には、毎度毎度の歯に衣着せぬ
直言居士ぶりに辟易させられながらも、結構楽しく付き合ってきた。今回は、たまた
ま出向いた郊外の大型書店の新刊コーナーで標記の本が、筆者を呼び止めた。分厚い。
430頁近くもある。 マガジンハウスが発行しているからたぶん高くはないだろうと思
って定価を見ると、2100円とあった。キョウビの書籍としては安い。白地社刊の旧版
(1991年)を買い損なっていたので、速やかに買う。もろもろ8冊ほどをカードで買
って、クルマの中でカミさんの醒めた視線を努めて意識しないようにしながら帰宅し、
次の日の午前中に読了。久しぶりにエンターテインメントとしての読書の快楽にひた
ったのだが、全体こんな時間はここ数年持つことができなかったことに気づいて愕然
としたのでもあった。
 この決定版は、季刊特集雑誌『パイデイア』(1968〜72)の全目次のほか、文芸誌
『海』、女性誌(?)『マリ・クレール』の主要目次、季刊雑誌『リテレール』の全
目次なども掲載されていて、『早稲田公論』編集者時代以来の安原顯の足跡が読み取
れるようにアンバイされている。それをたどることで、学生時代以来の筆者のささや
かな読書歴を思い出すよすがともなる具合のよい1冊だった。また、出版界のゴタゴ
タ、例えば文学者相互の、というより物書き相互の、あるいは物書きと編集者との確
執などがヤスケンのキビシイ「観察眼」によって回顧されてもいて、これがノーテン
キな物書きや編集者を鋭く挑発する「批評」たりえているとも思え、最近の心当たる
現象を思い起こしながら一気呵成に読み進めたのだった。
 そのヤスケンが、季刊『リテレール』の発行母体メタローグ社をリタイアしたのち
1995年に「出版プロデューサー」(契約社員)としてかの学研の雑誌第七部でクビに
なるまで2年間仕事をしていたという事実も、感慨にたえない。70年代半ばから80年
代にかけて、学研の雑文書きなどで食いつなぎ、学園紛争経験を持つ若手社員らが各
出版社(光文社、中央公論社、学研など)で「闘争」中だった時期、「学研紛争」当
事者だった友人らが頻々とわが住まい(超おんぼろアパート暮らしだった)に出入り
して密かに語っていたころの経験に照らすと、ヤスケンと学研とでは「水と油」とし
か思えないからだ(「あとがき」で知ったときには笑ってしまった)。

 ◇「編集者」の仕事をめぐって◇

 しかし、安原顯はやはり自ら称するように「スーパー・エディター」だったとは思
う。「いつの時代でも、適性のある編集者が絶対にしなくてはならぬことがある。そ
れは自己投資だ。つまり、見聞きし、読むことにより感覚、感性、眼力を日々研ぎ澄
ますこと。ぼくの目安は、書籍を含むいわゆる教養費に、月最低でも20万円はかけて
ほしい」と言い切る自信。
 「編集者」とひとくちに言っても、最近では単なるサラリーマン編集者が増え、独
創性もなければ学者・研究者をしのぐほどの勉強もしない甘ったれたタイプの「社畜」
(とヤスケンは形容する)にすぎないニイちゃんネエちゃんが、知的(痴的)カッコ
ばかりつけて、校正仕事すらロクにしようとしない(できない。基本的なリテラシー
を欠いているから)、といった光景は筆者もたびたび目にしてきた。20万円はおろか、
2000円の本1冊買うにも出し惜しみするケチな若者、いや中年の編集者。林達夫のよ
うな人物には届かなくても、せめてヤスケンの足許ににじり寄るぐらいの気構えのあ
る「編集者」には、残念ながらまだこの地ではお目にかかっていない。そして、地味
なデスクワークの場面などを一見すると「裏方仕事」のようだが、言うまでもなく、
物書きが物書きとして自立できるかどうかは、気骨のある編集者と「組める」かどう
かで決まるのであって、クリエーターとしての編集者の仕事の意味に「こだわった」
業界人が極端に減ってきたことに、関係の筋の人々はもっと危機感を持ってよい。そ
んなこんなで、ヤスケンを集大成したこの一書、オススメである。

 ◇お寒い北海道の出版界◇

 いくら「お寒い」と言ったところで、基幹産業がガタガタな社会経済状況下で、出
版界だけを言挙げして嘆くことは不当なのだが、それを承知で言えば、本当にこの地
で出版を志す人にはお寒い状況が続いている。新聞社、大学が母体のいわば「お抱え
出版社」があるにはある。しかし、自立的な出版社、自ら納得のいく(カタメの)書
籍を自前で発行しながら、センスのよい物書きを育てていくことも可能な出版社がほ
とんど存在しないに等しい(と筆者には思える)現状は、支柱の一本をすっぽり欠い
た伽藍を見ているようで寂しい限りだ。
 去る3月にかけて、市立小樽文学館で行われた戦後北海道の出版事情を取り上げた
「展覧会」は、ついに見に行けなかったが、一方で行くまでもあるまいと思ってもい
た。筑摩書房の2代目社長(吉川幸次郎が恩師だった)、竹之内静雄さん(筑摩が疎
開していた当時札幌に居られた)らに、かつて戦後のその実情を直接聞き、ある程度
は把握していたためでもあるが、ともかくもその熱気は大変だったようだ。しかし、
それも疎開系出版社の勢いに地元勢が煽られてということでもあろう。つまりは、東
京(中央)依存ということか。
 編集者を云々する前に、出版社が育たない文化的背景を考えるべきだろう、とは思
う。でなければ、満足に「てにをは」すら駆使できない物書き見習いが、何かの賞を
受けた程度のことで地元の名士扱いされ、本人もまた一流になったような気分でパー
ティなんぞに出入りし、文化人顔をして澄ましこんでいるといった風景が続出するこ
とになる。これこそお寒い風景なのだ、ということを何者でもない筆者は肝に銘じつ
つ、春を迎えたい。

☆平原一良(ひらはら・かずよし)氏は『credo』 編集人。大学卒業後上京し、書籍
編集、美術館図録編集などを続け、1988年に帰道。短大講師を経て、現在北海道文学
館勤務。戦後詩等についての論考があるほか絵本の文も書く。
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